小倉百人一首 21-30
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27番歌 みかのはら(中納言兼輔)

藤村さき
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みかの原 わきて流るる いづみ川 いつみきとてか 恋しかるらむ

みかはら わきてながるる いづみがは いつみきとてか こひしかるらむ

現代語訳

みかの原をかき分けるように滔々と水が湧いて流れてるいづみ川。その「いつ」ではないけれど、「いつ見た」といってこんなに恋しいのだろうか?

みかの原を滔々と流れていく泉川の水に、あふれ出て流れていく恋の気持ちを重ね、相手を想う。わきあがるピュアな恋心が伝わって来るようです。

ただ、この歌の作者は藤原兼輔と言われていますが、疑問視もされています。現存する『兼輔集』にこの歌が載っていないからです。

恋焦がれる気持ちを表現した歌

この歌は、まだ実際に顔を見ていないけど恋している女性、その女性への恋焦がれる気持ちを表現しています。

当時は「男性が女性の顔を見る」ということは、実際に結ばれるまでほぼありませんでした。ですので、作者も恋する相手の顔をまだ見ていません。

品詞分解してみる

みかのはら/ わき/て/ながるる/ いづみがは/ いつ/み/き/とて/か/ こひしかる/らむ

「とて」のところを「と」「て」に分けて解説しているものも多いです。

作者:中納言兼輔

中納言兼輔は藤原兼輔のことです。「三十六歌仙」のひとりで、延喜歌壇の中心的な人物です。

加茂川の堤に邸宅があったことから「堤中納言」とも呼ばれましたが、『堤中納言物語』という本と兼輔は関係がありません。

紀貫之や凡河内躬恒とも親交があり、紫式部の曽祖父にもあたります。

いづみ川ってどこ?

京都府を流れる木津川

泉川というのは、京都府木津川市を流れている、現在の木津川のことです。

泉大橋

木津川にかかる泉大橋は、740年ごろに僧行基が架けたのが始まりです。

しかし876年に橋が洪水で流され、それ以降明治頃までは舟を使って渡っていました。

現在の泉大橋は、1951年に架設され、日本百名橋にも選ばれている橋です。

みかの原ってどこ?

現在の京都府木津川市

「みかの原」は、漢字で書くと「三日原」「瓶原」などと書かれ、現在の京都府木津川市に「瓶原」という場所があります。

このあたりは奈良時代に都(恭仁京)が置かれた場所で、多数の史跡・文化財が残っています。

日本最初の流通貨幣である「和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)」の鋳造所は長門(山口県)が有名ですが、このあたりでもつくられました。

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