小倉百人一首 21-30
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25番歌 なにしおはば(三条右大臣)

藤村さき
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名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人にしられで 来るよしもがな

なにおはば あふさかやまの さねかづら ひとにしられで くるよしもがな

現代語訳

逢坂山のさねかずらが、「逢う」「さ寝」という言葉の通りであるならば、他の人に知られずに手繰り寄せるようにあなたのもとに行く手立てが欲しい。

当時の「来る」は「行く」と同じ意味で使われていました。

掛詞

「逢坂山」と「逢う」、「さねかづら」と「さ寝(共寝)」、「来る」と「繰る」、が掛かっています。

作者:三条右大臣

藤原定方のことです。三条に邸宅があったことから、三条右大臣と呼ばれています。

900年前後の人で、宇多天皇・醍醐天皇・朱雀天皇に仕え、天皇の外戚として急速に昇進をし、死後には従一位を追贈されました。

44番歌の藤原朝忠は子にあたります。

和歌や管弦をこよなく愛し、紀貫之や凡河内躬恒などを後援した人物です。

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