源氏物語
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【第9帖】葵(あおい)【源氏物語あらすじ・解説】

藤村さき
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光源氏22歳~23歳のお話です。

桐壺帝の譲位、六条御息所と葵の上の牛車争い、夕霧の誕生、物の怪、葵の上の死などが描かれています。

対訳にはなっていませんので、ご注意ください。

あらすじ

朱雀帝の即位

桐壺帝が譲位され、光源氏の兄にあたる朱雀帝が即位された。

東宮には桐壺帝と藤壺中宮の間に生まれた若宮(実は源氏の子)が立った。

先の弘徽殿の女御は皇太后となり、面白くないのか新帝のもとばかりを訪れているので、中宮も気楽な様子である。

ただ院は東宮のことだけは気がかりなようで、源氏に後見を頼んだ。源氏はやましく思いながらも嬉しく思い、引き受けるのであった。

また、伊勢の斎宮には六条御息所と前の東宮の間にできた娘(後の秋好中宮)が就くこととなった。

六条御息所

六条御息所は源氏の愛を頼りなく思っていたので、娘が年少であったこともあり、ともに伊勢に下ろうと考えていた。

桐壺院はこの噂を聞きつけると源氏を呼び、六条御息所を大切に扱うようにと諭した。

六条御息所の前の夫は院の弟で、斎宮は姪でもあったからだ。

しかし源氏は御息所を公式に妻とはしなかったし、彼女もまた年上である自分の身を恥じて妻の座を要求することもなかった。

院にも世間にもふたりの関係は知られていた。

それでも源氏が誠意を見せて御息所を妻として扱おうとはしなかったので、御息所は源氏に恨みを抱いてもいたのである。

朝顔の姫君

そうした噂は式部卿宮の朝顔の姫君にも伝わっていた。

「自分は六条御息所のようにはなるまい」と、姫君は源氏からの手紙には素っ気ない返事をしたり、返事を返さなかったりしていた。

それでも源氏は返ってきた手紙の内容に姫君の人柄の良さを感じ、「だから朝顔の姫君をこんなにも長い間気に入っているのだ」と納得するのであった。

葵の上

左大臣家にいる源氏の夫人、葵の上は妊娠中であった。

源氏は夫人へ新しい愛が湧き上がってくるのを感じており、喜びと不安に包まれる舅姑とともに神仏への祈りにつとめていた。

よそにいる恋人たちのもとへ通う足も、この頃は少し遠のいていた。

賀茂祭での車争い

その頃、先代の賀茂の斎院が退き、新しく皇太后腹の女三の宮が新しく斎院となった。

賀茂祭(葵祭)は4月(旧暦)の酉の日に行われ、賀茂の斎院は加茂川の河原で禊(御禊・ごけい)をする。

神事は簡単に行われるときもあるが、今回は派手に行われることとなり、源氏も供奉のために特別に宣旨をたまわり、参加することになっていた。

その姿を見ようと、六条御息所の一行も身分を隠して見物にやって来ていた。

同じく、葵の上も、家の者たちが是非にというので、懐妊中で体調もそれほど良くはなかったが、気晴らしに見物に来ていた。

二条の通りは物見の牛車や人、桟敷でごったがえしていた。

葵の上の車は出発が遅かったこともあり、どこで見物したものかと考えながら、身分の低い者の車を除けさせたりして場所取りをしていた。

そして六条御息所の牛車を除けさせようとしたことで、双方の若い従者をはじめとして両者が争いとなってしまう。

この頃にはお互いに相手の素性を察してはいたが、六条御息所の方は抗議をすれば面倒なことになると考え抗議はせず、葵の上の方も退くことはなかった。

そして六条御息所の牛車は奥へと追いやられ、破損し、斎院を見ることも叶わなかった。

その前を、源氏が六条御息所に気付くこともなく、葵の上に礼をとるように通り過ぎていく。

大臣の娘として生まれ、元東宮妃でもある御息所にとって、これは耐え難い屈辱であった。

この顛末を聞いた源氏は、六条御息所のことを気の毒に思いすぐに謝罪に向かったが、伊勢の斎宮に選ばれている自分の娘が在宅であることを口実に、門前払いされてしまう。

物の怪

六条御息所は、ここ数年来でもっとも悩ましかった。

斎宮について伊勢に行くのにも源氏と別れ難く、かといって源氏は自分が伊勢へ行くのを強く止めるわけでもない。

伊勢に行けば源氏に捨てられたのだと思われそうな世間体も気になるし、京にいるのもこの間の賀茂祭での出来事が忘れられない。

心と体がばらばらになった感覚がして、まるで病気にでもかかったようになった。

葵の上の方もまた、物の怪がついたようになり病の床についてしまう。

源氏も心配してつきっきりになり、二条院へもときどき帰るだけであった。

たくさんの修法を行うが、どうしてもとれない物の怪がひとつだけあった。その正体を探ろうとするものの、どうもうまくいかない。

桐壺院からも見舞いや祈祷のものが送られたが、皆の心配は募るばかりであった。

こうした葵の上の噂を聞き、六条御息所もますます病を悪化させた。

源氏も心配してこっそりと御息所を見舞った。朝方に帰っていく源氏を見ながら、御息所はやはり自分は源氏から離れられないと思った。

同時に、もうすぐ子供が生まれてくる源氏の愛は少なくなっていくのではないかと思った。

葵の上の病状は悪化し、人々は六条御息所の生霊か、はたまたその父上である大臣の亡霊のったかと噂をするようになった。

六条御息所もまた、もしかしたら自分の仕業かも知れないと感じるようになっていた。

斎宮の準備に忙殺される家の者たちも、ぼんやりとしていたり寝ていることの多い御息所の様子を心配して祈祷を頼んだりしていた。

源氏は悪化する葵の上につきっきりとなり、御息所へは手紙を送るだけになっていた。

産み月にはまだ少し早い頃、葵の上は急に産気づいた。そして苦しむ中で「話がある」と源氏を呼んだ。病的な美しさを感じる妻の手を取り、源氏は涙で言葉少なに語り掛けた。

けれどもその妻の口から出た声も言葉も、妻のものではなかった。

物の怪が名乗ることはなかったが、この葵の上は六条御息所にそっくりだと、源氏は感じた。

葵の上は男子(夕霧)を出産した。新しい命の誕生に皆が幸福に満たされ、院を始めとする方々から産養の賀宴が毎夜持ち込まれた。

六条御息所は葵の上に無事に子が生まれたと聞き、心が穏やかではなかった。また自分に染みついて消えない護摩の香に、生霊はやはり自分であったのかと思い、源氏との恋も清算すべきであると悩んでいた。

源氏は六条御息所にどう接すべきかと思いつつ、手紙だけは送っていた。

子供が生まれたことで左大臣家は喜びに包まれ、源氏も若君を非常に可愛がっていたが、葵の上の体調が回復しないことだけが皆の気がかりであった。

若君は東宮とよく似ていた。東宮のことを考えると、源氏は一度御所に顔を出そうと思い、葵の上に挨拶をしてから出かけることにした。

秋の官吏の昇任が決まる日でもあり、左大臣家の人々も出かけ始めた。

皆が出かけ邸が静かになったころ、にわかに葵の上は苦しみだし、亡くなってしまった

源氏の悲しみはたいへんなもので、物の怪のために仮死状態なだけで生き返るのではないかと、しばらくそのまま寝かせておくほどであった。

しかし生き返ることはなく、鳥辺野の火葬場へと遺体は送られた。8月20日過ぎの、有明月の頃のことであった。

源氏は二条院へ帰ることもなく、仏勤めをし、恋人たちへは手紙だけを送って過ごした。

葵の上の四十九日が済んだ後、源氏は左大臣家を去り、まだまだ幼い息子の夕霧を左大臣家に託したのである。

紫の上

源氏は二条院に戻った。

二条院は物も人も美しく整えられており、皆が源氏の帰りを待っていた。

久しぶりに見る紫の上は、少し大人になったように見えた。

翌朝は左大臣家にいる子供の乳母に手紙を書き、返って来た返事を読んでは悲しい思いにとらわれていた。

恋人たちのもとへ行く気にもなれない。

若紫はもう貴女と呼ぶにふさわしく、実質的に結婚してもよい年ごろに思われた。肉親として可愛がっていた頃とは違う感情が、源氏には芽生えていた。

源氏は紫の君と密かに結婚をする。

源氏を信じていた紫の君は、突然のことにふさぎこんで口をきこうともしなかった。

その日は亥の子餅を食べる日であった。その準備の様子を見ながら、源氏は惟光を呼び、密かに明日の夜に食べる三日夜餅の準備をさせた。

三日夜餅は立派な容器に準備され、枕元へと運ばれた。

朝、それを見た側近の女房達はうなずき合い、少納言などは正式な結婚の手順を源氏が踏んだことに感激して泣くほどであった。

源氏はこれを機に紫の上の裳着を急がせ、素性を明らかにして、父である兵部卿宮にも伝えなければと考えていた。

紫の上はいまだに源氏のことを避けている様子だが、源氏はその様子も可憐だと思うのであった。

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