小倉百人一首

100番歌 ももしきや(順徳院)

ももしきや ふるき軒ばの しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

しきや ふるきのきばの しのぶにも なほあまりある むかしなりけり

建保四年(1216年)、順徳院が20歳のときに詠んだ歌です。この頃は段々と王権が衰退し、鎌倉幕府との緊張が高まってきた時期でした。

現代語訳

宮中の古い軒端に生えているしのぶ草のように、しのんでもなおしのびつくせない、昔の御世だなあ。

「ももしき」は漢字では「百敷」と書いて「宮中」の意味です。

「軒端のしのぶ」は、建物の荒廃を表すとともに、王朝の衰退をも表しています。

衰退しつつある王権。宮中の古い軒とその端に生えたしのぶ草を見ながら、栄えていた時代のことを思い出す。現実への嘆きと、過去への追慕を表現した歌です。

時代背景

この歌が詠まれたのは1216年。承久の乱の5年前で、すでに朝廷と鎌倉幕府との緊張が高まっていた時期でした。

承久の乱というのは、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権北条義時に挙兵して敗れた事件です。このとき日本史上初めて、朝廷と武家政権が武力衝突しました。

※「承久の乱」と「承久の変」は同じ事件を指しますが、時代や考え方によって呼称が変わるようです。ここでは「乱」を用います。

作者:順徳院

99番歌の後鳥羽院の皇子で、第84代の天皇です。

和歌に熱心で、『八雲御抄(やくもみしょう)』という歌学書や『順徳院御集』という家集を残しています。

また有職故実(ゆうそくこじつ)の研究にも力を入れ、『禁秘抄(きんぴしょう)』を残しています。

有職故実というのは、

古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・習慣・官職・儀式・装束などのこと。また、それらを研究すること。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「有職故実」

です。

順徳院は「承久の乱」で敗北して譲位した後、佐渡に流されてそこで没しました。

感想

百人一首の最後の歌として、覚えている人も多いこの歌。

理想の天皇像をうたった1番歌から始まり、100番歌が天皇の嘆きと過去への追慕で閉じられているのもなかなか感慨深いです。

小倉百人一首の選者は藤原定家ですが、彼がいた時代というのはまさに順徳院と同じ時代。平安時代が終わって鎌倉時代へと入る時代です。

貴族が衰退して武家が台頭し始める。そんな時代に、定家や順徳院は生きたのです。

関連記事
小倉百人一首(一覧)