小倉百人一首 11-20
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11番歌 わたのはら(参議篁)

藤咲
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わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人には告げよ あまのつり舟

わたのはら そしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね

「わたの原」というのは、「大海、海原」の意味です。「海」と書いて「わた」と読みます。

『古今和歌集』の詞書によると、作者が隠岐に流されるときに出雲国(島根県)の千酌駅(ちくみえき)で詠み、京都へ送った歌だということです。

現代語訳

大海原にある多くの島々を目指して漕ぎ出して行ったと、都の人たちに伝えておくれ、漁師の釣り舟たちよ

隠岐へ流されていく悲しいシーンなのに、どこか堂々とした雰囲気が伝わってくる歌です。

隠岐へ流されることになった理由は後述しますが、自らの正しさに自信をもっており後悔などはまったくしていない、という矜持や信念を感じさせ、作者のひととなりが見える歌です。

作者:参議篁(さんぎたかむら)

参議篁(さんぎたかむら)は小野篁のことで、9世紀前半頃の人です。

隠岐へ流された理由

とても優秀な人でしたが、遣唐副使に任ぜられた際、出発直前に大使(藤原常嗣)ともめて仮病を使い乗船を拒否してしまいます。

もめた原因自体は大使の方にありました。大使が乗船するはずだったはずの船が破損していて、作者の船と取り替えてしまったのです。

それまでの渡航が失敗つづきで、三度目の渡航にあたるときでした。

そのときに詠んだ「西道謡(さいどうのうた)」という風刺の歌が、嵯峨上皇の逆鱗に触れてしまい、隠岐島に流されることになってしまいました。

この「西道謡」がどんな内容だったかは、詳しく分かっていません。遣唐使の役割について風刺する内容であったと言われています。

しかし二年後に許されて戻ってきた後は、当の嵯峨上皇に重用されて従三位(じゅさんみ)まで出世したそうです。

逸話

『宇治拾遺物語』には、「子」の字を12個並べた文を読み下すなど、学識をたたえた逸話があります。

子子子子子子子子子子子子[ねこのここねこ、ししのここじし(猫の子仔猫、獅子の子仔獅子)]

また「実は閻魔大王に仕える裁判官だった」という逸話や、「あの世とこの世を行き来していた」という話も残されています。

京都祇園の六道珍皇寺には、篁が夜毎「あの世とこの世を行き来」する際に使っていたという井戸が残されています。

大椿山六道珍皇寺公式サイト→http://www.rokudou.jp/

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