源氏物語
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【第15帖】蓬生(よもぎう)【源氏物語あらすじ・解説】

藤村さき
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光源氏28歳秋~29歳4月のお話。

光源氏が須磨へ蟄居してから帰京後までの、末摘花に関するお話です。

対訳にはなっていませんのでご注意ください。

あらすじ

 源氏が都を追われてから、京に残された人々は悲しい思いをしながら暮らしていた。

紫の上の暮らしぶり

 それでも紫の上などは、源氏と手紙をやりとりして様子を知ることもでき、今は無冠となり無紋となった源氏の衣装を季節ごとに送ったりと、それなりに暮らしていた。

末摘花の暮らしぶり

 しかしそんな人たちばかりではない。

 常陸宮の娘である末摘花は、苦しい生活を強いられていた。

 父を亡くしてから頼る者もなく、心細く暮らしていた末摘花は、源氏に出会ってやっとそれなりの生活が出来るようになっていた。

 それがあの事件以来、源氏からの便りもなく、生活を頼ることも出来なくなってしまった。

 一時は増えていた女房も、去ったり亡くなったりして人数が少なくなり、邸も荒れ果ててしまっていた。

 庭の木や調度品、邸も売り払ってはどうかという意見も出ていたが、末摘花は亡くなった父が自分のために準備してくれたものであるからと、父の心を思い拒否するのだった。

 末摘花には出家した兄がいるが、これも役に立たない。また、友人もおらず、親戚づきあいもせず、手紙を書いたり経を読んだりすることもない。

 庭の蓬は軒の高さまで伸び、葎は邸の門を覆い、土塀は崩れていた。

 牧童は放牧をし、盗人も素通りするような、そんな邸の有り様だった。中には調度品はそろっているが、掃除をするものもいないので塵がつもっていた。

 そんな邸で、末摘花は古風な暮らしをしていたのである。

末摘花とまわりの人々

 乳母子の侍従はずっと末摘花に仕えていたが、半分は他の家の手伝いに行ったりしていた。

 侍従が勤めに出ていたのは、末摘花の叔母にあたる方の家だった。この方は身分が高いにもかかわらず地方官の家へと嫁いでおり、そのこともあってか卑しさを感じる人物であった。

 末摘花にも自分のところへ働きに来ないかと侍従をとおして誘っていたが、末摘花はこれも恥ずかしさから断り続けていた。

 やがて源氏が帰京し、人々が多く源氏と再会するなかでも、末摘花は忘れられたままになっていた。

 そのうち叔母は大宰大弐となった夫について、任地に赴くことになった。末摘花にも同行を促したが断られた叔母は、末摘花が頼りにしていた乳母子の侍従を連れて行くことにする。

 侍従は大弐の甥の恋人でもあったため、断ることが出来ない立場であった。

 侍従も女王を京に残していくのは気がかりだと同行を求めたが、源氏を信じている末摘花は決して承諾しないのだった。

 部屋の調度品を売らずに置いているのも、いつか源氏が戻って来たときのことを思ってである。

 冬になり、兄の禅師から源氏の話を聞いた。

 末摘花は、もう源氏がここに来ることはないのかもしれない、と思い始めていた。

 いよいよ侍従が大弐の夫人に連れられて行き、残った老女房たちも出ていく算段をしている。出入りする下男もおらず、庭には雪や霙が高く積もる。

 そんななかで、末摘花は日々寂しく暮らしているのだった。

源氏、末摘花と再会する

 年も改まって春になった。

 源氏は末摘花のことを思い出すこともあったが、それほど急ぐ必要もないと考えていた。

 ある夜、源氏は花散里を訪ねようと出かけ、見たことのある邸の木立を見かける。荒れ果てて崩れたその邸が常陸宮邸であることに気づき、惟光に様子を見に行かせる。

 初夏のことであった。

 その日、末摘花は昼間にうたた寝をし、父の夢を見た。そして父のことを思いながら邸の掃除や片づけをさせていた。さらに珍しいことに、歌を思っていた。

 源氏の車が邸の前にとまったのは、まさにこのときだったのである。

 惟光はきっと誰も住んでいないだろうと思っていたのだが、人がいたので驚きつつ、事情を説明する。対応した老女の声は、聞き覚えのある声であった。

 源氏は歌をまず贈るべきか迷ったが、結局そのまま車を降りて邸へと入っていった。

 その夜はさすがに泊ることはなかったが、末摘花の心がまさに貴女と呼ぶにふさわしいものであることが、邸や末摘花の様子から分かった。

 一生の愛人にすると昔思ったことを、源氏は思い出した。

源氏、末摘花を大切にする

 それから源氏は末摘花に援助をし、新しい家司を命じて邸を直させたりした。下家司に志願するものも多く現われ、邸は人も増えてにぎやかになった。

 建築中の二条の邸に、末摘花を住まわせることも約束した。

 二年後に二条東院に引き取られてからも、あまり夫婦として過ごすようなことはなかったが、用事で来たときなどはお話もよくされ、決して軽んじたような扱いはされなかった。

 大弐の夫人が戻って来たときにどれだけ驚き喜んだか、また自分のあやまちを悔いたかということも書きたいが、筆者は頭が痛くなってきたから、また今度書くことにする。

補足

 最後のあたりは「草子地(そうしじ)」となっていて、作者の言葉で気持ちが述べられています。また途中にも作者の主観が述べられている個所があります。

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