【第7帖】紅葉賀(もみじのが)【源氏物語あらすじ・解説】
光源氏18歳の秋~19歳の秋の物語です。
対訳にはなっていませんのでご注意ください。
主な登場人物
源氏、桐壺帝、藤壺宮、兵部卿宮、左大臣家に住む妻、若紫、少納言、王命婦、若宮
あらすじ
試楽
朱雀院の行幸は10月ということになっていた。その日に行われる歌舞は特別素晴らしいと言われていたが、後宮のものたちは見ることが出来ず残念がっていた。
そこで試楽というかたちで、同じものが御前で行われることになり、源氏も青海波(せいがいは)を舞った。
藤壺宮もこれを見た。心にやましいところがなければもっと美しく感じただろうと思いながら、帝から感想を求められた折には「特別によかった」と一言だけ答えるのであった。
翌日、源氏は藤壺宮へ感想を求める手紙を送った。
藤壺宮はひとこと書いて手紙を返しただけであったが、源氏はこれを非常に喜んだ。
行幸の日、当日の源氏の舞は試楽の日を超える素晴らしいものであった。
源氏と妻
源氏は実家へと戻った藤壺に会いたいと思っていたので、左大臣家にいる妻のもとへ行くことは少なくなっていた。
また二条院に紫の姫君も迎えたことを妻は人づてに聞いたので、妻は恨めしさを抱いていた。
お互いを思う心がないわけではないが、今はまだ源氏と妻は心がすれ違い気味である。
西の対の若紫
若紫はというと、馴れていくにしたがいさらに源氏の心を惹いていった。素性を知られないようにし、西の対に住まわせて家司も別に置き、源氏は教育をすすめていく。
惟光以外のものたちはこの姫君のことをいぶかしく思っていたが、源氏はまるで自分の娘のように大切に扱った。
姫君は尼君のことを思い出して泣くことがあり、源氏の不在のときにも寂しそうにしていた。それもまたかわいく思われ、源氏も外泊するときに姫君のことが気になるのであった。
僧都もこうした源氏の様子を聞いて、不思議に思いながらも嬉しく感じていた。北山で行われた尼君の法事では、源氏は手厚く布施を施した。
三条の宮にて兵部卿宮と出会う
藤壺宮は自邸である三条の宮へ帰っていたので、源氏がそこを訪ねると、兵部卿宮と出会った。宮は藤壺の兄であり、若紫の父である。
兵部卿の宮は、まさか源氏が娘の夫であるなどとも知らず、源氏のことを美しいなあと思うのであった。
尼君の喪明け
尼君の裳が明け、姫君は衣を替えた。急に現代的な美人になったように見えた。
少納言は若紫について、尼君が絶えず仏に祈願したおかげで幸福を得たのだろうと思う一方で、左大臣家の源氏の正妻のことを思うと不安でもあった。しかし大丈夫だという気持ちも強く持っていたのである。
元日に宮中へ朝拝の儀に出かける際に、源氏が西の対へ寄ると、姫君は雛遊びに夢中になっているようだった。
そんな姫君を少納言などは、「十歳を超えたらあまり雛遊びはよろしくない、夫もいるのだからもっとお静かに」などと注意するのだった。
左大臣家へ
御所から退出した源氏は、そのまま左大臣家の方へ帰った。
左大臣家もそこの娘である妻も、二条院に源氏が新しく迎えた妻のことを知っていた。
妻の心は穏やかではなく、自身が四つも年上であることを気にしてもいたが、源氏が話しかけるととりあえず返事などはしていた。
源氏は妻のことを欠点のない女性だと思っていたが、自分の行いで恨まれているのだとも思っていた。
二人の心は未だにすれ違い気味のようである。
それでも左大臣は源氏のことをとても大事に、まるで生きがいであるかのように大切に扱っていたのである。
源氏は東宮、一の院、藤壺宮の住む三条へと参賀に出かけた。
藤壺宮、ご出産
藤壺宮は十二月に出産の予定であったが未だに子は産まれず、人々も物怪のせいではないかと噂するので、宮は心が苦しく、源氏もまた心配してあちこちの寺で修法をさせていたのである。
二月もなかばになって、ようやく宮は男児をご出産された。若宮はおどろくほど源氏に生き写しであった。
このことは藤壺宮をさらに悩ませ、二人が逢うために仲介をした王命婦もそのために悩んだ。
源氏は皇子になかなか会わせてもらえなかったが、あるとき帝が抱いた皇子の顔を見ながら源氏にそっくりだと言って可愛がるところを見てしまうのだった。
源氏は二条院の東の対へ帰ってから王命婦に手紙を書いた。命婦はそれを宮に見せ、宮は源氏へと返事を寄せた。返事はないものと思っていた源氏は嬉しいと思ったが、胸騒ぎも覚えるのであった。
若紫のもとで
源氏は西の対の若紫のもとへと向かった。
紫の女王は、帰ってからすぐに自分の元へこなかった源氏にすねた風を装っていた。源氏が琴を出させて調子を整えると、姫君は琴を弾き始めた。
源氏は笛を吹きながら、姫君に琴を教えていく。筋が良い。
それから絵などを見たりしていたが、外は雨が降りそうになっていた。源氏はここへ来る前に左大臣家へ出かける用意をしてあったので、供の者が源氏に声をかけてきた。
姫君が出かけようとする源氏を見て寂しそうにするので、いろいろと諭していたが、姫君はそのまま源氏の膝で眠ってしまった。
結局源氏は、今日はもう出かけないことにした。
姫君を起こしてから西の対でいっしょに夕飯をとったりしたものの、若紫はまだ源氏が本当に出かけないかどうか疑っているようである。
このように源氏が出かけるのを引き留めるようなことが幾度となくあると、二条院にいる源氏の新婦の噂は左大臣家でもあまり良くないものとなり、御所へも噂が伝わり、帝も源氏に注意をするのであった。
藤壺の宮、立后する
七月には皇后の冊立があるはずだった。帝は譲位をしたがっており、次の東宮には藤壺宮の産んだ若宮を立てるつもりでもあったが、適当な後ろ盾が見当たらなかった。そこで母である藤壺宮を中宮に立てることにしたのである。
皇太子の母である弘徽殿の女御は面白く思わないだろうし人々もいろいろ噂したが、藤壺宮はもともとは内親王であるし、帝の寵愛も深い。多くの人々が喜んで新しい中宮に仕えた。
そして源氏もまた、立后した宮の美しい姿を想像しながら、宮が手の届かぬ遠い所へ行ってしまわれたと感じたのである。
若宮は成長するにつれ、どんどん源氏と似ていった。世間の人もそう感じていたが、二人の間の秘密などは誰も気が付かないままであった。