源氏物語
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【第13帖】明石(あかし)【源氏物語あらすじ・解説】

藤村さき
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光源氏27歳3月~28歳8月のお話。

対訳にはなっていませんのでご注意ください。

あらすじ

連日のように続く豪風雨。源氏一行は眠れぬ日々を過ごしていた。

ある晩、二条院から紫の上の使いが訪れ、紫の上からの文を読んだ源氏は都でもこの豪風雨が発生している事を知る。

この悪天候のため、厄除けの仁王会が開催されることになり、都での政事は中止されていることも聞いた。雨や雹、雷鳴が止まないらしい。

源氏と供人らは住吉の神に嵐が静まるよう祈った。竜王や大海の諸神にも祈りを捧げるが、ついには落雷で邸が火事に見舞われてしまう。

漁村のものたちまでも集まってきて心配そうにしている。最悪の被害にまで及ばなかったのはやはり神の助けだという声を聞くのにも、心細いものを感じる。

夢に現れる桐壺帝

嵐が収まった明け方、源氏の夢に故桐壺帝が現れ、住吉の神の導きに従い須磨を離れるように告げる。

恋しい父上の顔を見られたことで、源氏の心にも力が戻ってくるようであった。

明石へ

翌朝、前播磨守である明石入道が舟に乗って源氏のもとを訪れた。

明石入道はお告げを受けて、以前から今日のために舟の準備をしていたのだという。

そして源氏一行は明石へと移ることになる。

明石までは不思議な心持ちのでなかであっという間に到着し、その地は美しかった。須磨よりも人が多いことだけが源氏には気がかりであった。

入道の持つ土地は広く、暮らしぶりも京の大貴族と変わらないどころか、より派手にも見えた。

入道は源氏を手厚くもてなし、一人娘(明石の御方)を源氏に紹介しようとする。

この娘のことは以前に源氏も噂で聞いて興味を持っていたので、これも前世からの縁であろうかと考えた。

けれどもこうした境遇にいる身としてはやましいことをするべきではないと考え、決して話をすすめようとはしなかったのである。

また入道自身も源氏の傍によるのも遠慮するほどであったので、娘の婿になって欲しいなどとはっきりとは言い出せず、歯がゆく思っていた。願いが実現するよう、ひたすら神仏に祈りを捧げていた。

当の娘も、垣間見た源氏の美しさにひかれつつ、身分違いすぎると気が進まなかった。

あるとき、源氏が十三絃を弾いていたのをきっかけに、明石入道も十三絃の見事な腕前を披露し、今までの身の上話を源氏に語って聞かせた。

源氏にも身に染みるような内容であり、涙ぐみながら源氏は聞くのであった。

翌日の昼頃、源氏は山手に住む入道の娘に手紙を送った。最初は娘は遠慮し、入道に急かされても自分で返事を書こうとはしなかった。

しかし源氏は根気強く手紙を送り続け、やり取りを交わすうちにその娘の教養の深さや人柄に惹かれていった。

娘は自分と源氏の身分の違いを理解しており、源氏が明石にいる間だけのことであると考え、源氏を隙見し、文のやり取りをし、音楽を聞くことが出来ただけで満足すべきことだと考えていた。

身分の低いものがするように自分から源氏に逢いに行こうとは考えない、貴女よりも貴女らしい心を持った娘であった。

双方、お互いの自尊心から、なかなか相手のもとを訪れることが出来なかった。

そしてついに八月、根負けした源氏は婚姻の日などを入道に相談し、娘のもとを訪れて契りを交わしたのである。

あまり公にはしない、目立たないようにして行われた結婚であった。

噂が届いてしまう前に、この事を源氏は紫の上に文で伝えたので、紫の上からは源氏の浮気をなじる文が届いた。

源氏はその後しばらく、娘(明石の御方)への通いが間遠になってしまった。

明石の御方は予期していたどおりであったと思いながらも平静を装っていたが、明石入道ともども悩みは深まるのであった。

光源氏、都へ戻る

一方、都では先年太政大臣(元右大臣)が亡くなり、弘徽殿大后も病に臥せっていた。

朱雀帝も眼病を患っており、東宮(冷泉帝)への譲位を考えていた。

先年三月の嵐のときには、朱雀帝のもとにも故桐壺帝が夢で現れて源氏に対する仕打ちを叱責されてもいた。

そして七月、朱雀帝は母后の反対を押し切り、源氏を赦免して京へと召還することを決意する。

その頃、既に明石の御方は源氏の子を身ごもっていた。別れを意識するにつれ、愛はより深まっていく。

この頃には源氏と明石の御方との結婚は周囲に知られるようになっていたので、あまり良い顔をしないものも多かった。

別れを嘆く明石の御方を源氏は捨てがたく、何らかの形で必ず京へ迎えると約束して慰めるのだった。

京の二条院へと戻った源氏は皆から歓待を受けるが、少し落ち着くと明石の御方のことが思い出された。紫の上にもそのことを話したが特に恨み言を言われるわけでもなく、自分自身が恨めしくなるだけであった。

このときに紫の上が口に出して引用した歌は「身をば思はず(忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな)」であった。

関連記事→38番歌 わすらるる(右近)

源氏は復職し、権大納言も兼ねる辞令を受けた。供人らも元の官位に戻ったのはめでたいことであった。

源氏は参内し、朱雀帝や藤壺の宮の元を訪れた。帝は病気のために少し衰弱していたが、この日は調子が良いようであった。

東宮も大きくなっており、ご聡明な様子が見て取れた。

少し日が経ってから、源氏は明石の御方へ手紙を送った。

大弐の娘の五節など、京の恋人たちからも手紙が届くが、当分は不謹慎なことはできないと、花散里などへも手紙を送るだけにとどめたので、京に源氏がいなかった頃よりもかえって寂しいものだと思うものも多かったのである。

補足

明石の上の実家は地方官を務める受領(ずりょう)階級です。

受領は地方に派遣される国司のなかでは上位ですが、貴族としては身分が高い方ではありません。

しかし、受領は中央に定められた税さえ納めれば余剰分を蓄財することが可能だったので、財産を増やして裕福な暮らしをすることができました。

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