01番歌 あきのたの(天智天皇)
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ
現代語訳
秋の田の傍にある、田を見守るための粗末なつくりの小屋は、苫編みの目が粗いので、わたしの着物の袖は屋根から漏れる露で濡れつづけている
という感じの歌です。
「の」が連続して使用されていることで、やわらかい響きとなっています。また、「つつ」止めは、余情を残すためによく使われる方法です。
露は「夜露」と解釈されますが、「涙」とも重なります。
農民が日常感じていたであろう、暗く・寂しく・寒い、つらい雰囲気が感じられます。
天智天皇(てんじてんのう)
天皇になる前の名前は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)。大化の改新の中心人物のひとりで、天皇中心の国づくりを推し進めました。
庚午年籍(こうごねんじゃく)という全国的な戸籍を作成したほか、初めて水時計(漏刻)をつくったのもこの方と言われています。
滋賀県の近江神宮は天智天皇をまつる神社です。
研究
この歌は以下の作者不明の歌が元歌とされており、天智天皇の作ではないとも言われています。
「秋田刈る仮庵を作りわが居れば衣手寒く露ぞ置きにける」『万葉集』(巻十・二一七四)作者不明
天智天皇の作として考えた場合には、改革と動乱、謀略のなかで、夜にふと感じたであろう寂しさや流れる涙をこの歌に託した、と想像すると、また違ったものも見えてきます。
天智天皇の歌と伝えられ、定家もそう信じてきた背景には、天智天皇の治世が人民に寄り添った素晴らしいものであった、と伝えられていることも理由です。
天智天皇の子孫は桓武天皇以下代々天皇の座についており、平安時代の天皇家の祖とも言えます。天智天皇が人民に寄り添うかたちで詠んだと解釈できるこの歌が一番歌として採択されたのは、当時として当然だったのかもしれません。
関連記事
小倉百人一首(一覧)