小倉百人一首 1-10
PR

04番歌 たごのうらに(山部赤人)

藤村さき
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

田子の浦に うちいでて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ

のうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ

決まり字は二字目の「ご」。叙景歌です。

現代語訳

田子の浦に出て仰ぎ見ると、真っ白な富士の高嶺に雪がしきりに降り続けているよ。

「うち出づ」は「外へ出る、現れる」という意味で、この場合は一気に視界が開けた場所へ出た、という感じを表現しています。そしたら急に富士山が目の前に現れたんですね。そしてその高嶺は降り続ける雪で真っ白だったんです。

歌の中に人物の動きと美しい風景が表現されていて、まるで映画のワンシーンのようです。

最後の「つつ」は反復・継続の助動詞です。これで余韻を残す技法は他の歌にもよく使われています。

田子の浦

田子の浦は、現在の静岡市清水区蒲原の吹上の浜あたりです。

また江戸時代の神代学者・山口志道は、現在の千葉県鋸南町であるという説を発表しています。

原歌

原歌はもともとは『万葉集』にある長歌に付された反歌で、

「田子の浦ゆ うちいでて見れば 真白にぞ 不尽の高嶺に 雪はふりける」(『万葉集』巻三・三一七)

となっています。

選定の際に藤原定家が改作をしたとみられ、修正を加えたことで、さらに技巧的な歌となっています。

例えば、「ゆ」は通過していることを表しますが、それを「に」に変えることでそこに留まっている、という意味になります。

留まって富士山を仰ぎ見るほうが、より富士山が強調されるように思います。

崇拝の対象としての自然

古来より、自然には神が宿るとされてきました。和歌においても自然は崇拝の対象であり、どこか神々しい雰囲気をまとって表現されていることが多いです。

叙景歌は自然が崇拝の対象であることを再確認させるものであり、それが叙景歌の本質と言えるのかもしれません。

作者:山部赤人

「三十六歌仙」のひとりで、柿本人麻呂とともに「歌聖」と言われました。

奈良時代(8世紀前半頃)の人で、同時代の歌人には山上憶良や大伴旅人がいます。おそらくは下級官吏・宮廷歌人だったと言われています。

各地を旅しながら自然の美しさを多く詠んだ叙景歌人です。

奈良県宇陀市の額井岳の麓には、赤人の墓と伝わる五輪塔があります。

関連記事
小倉百人一首(一覧)

スポンサーリンク
スポンサーリンク
記事URLをコピーしました