小倉百人一首 41-50
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47番歌 やへむぐら(恵慶法師)

藤村さき
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八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり

むぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり

出典である『拾遺和歌集』の詞書には「河原院にて、荒れたる宿に秋来るといふ心を、人々よみ侍りけるに」とあります。

現代語訳

何重にも雑草が生い茂ったこんな荒れた家は寂しいのから訪ねてくる人はいないけれど、秋だけはたしかに訪ねてきた。

「八重葎(やえむぐら)」というのは、何重にも茂った雑草のことで、これだけ雑草が生えた宿というのは、かなり荒廃した宿、と言えますね。

河原院

この歌を詠んだのは「河原院」というところです。

ここはかつて14番歌を詠んだ源融(みなもとのとおる)の邸宅でした。もとは立派な場所でしたがこの頃にはすっかり荒廃しており、時の流れや世の無常、人の世の「あはれ」を感じます。

「艶」「幽玄」の美へと向かう幕開け?

この時代にはこの「河原院」は源融の曾孫である安法法師が住んでおり、廃園を愛でる風流人たちが集い詩歌をたしなむ場所となっていました。この歌もそうした集まりの中で詠まれたと言われています。

変わらずめぐってくる「秋」と、変わり行く無常の「世」=「人」とを対照させることで、深い感慨が生み出されています。

そして、こうした失われ行くもののはかなさ、美しさへの着眼は、のちに日本中世の美意識として定着する「艶」「幽玄」の美意識につながるものである、とも言われています。

語句と文法

文法的には、「こそ」+「已然形」の”係り結び”が使われています。

作者:恵慶法師(えぎょうほうし)

「中古三十六歌仙」のひとり。

10世紀後半ごろ、花山天皇の時代ぐらいの人と言われています。

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