55番歌 たきのおとは(大納言公任)
藤咲
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滝の音は たえて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ
たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそながれて なほきこえけれ
長保元年(999年)に藤原道長について大覚寺に散策に行った際に、「初めて滝殿に至る」という題で詠んだ歌です。
現代語訳
滝の水音は絶えてから長い年月が経ったけれど、その名声は今でも流れて聞こえて来るよ。
大覚寺
大覚寺は現在の京都府右京区嵯峨大沢町にあり、嵯峨天皇(第52代天皇:在位809-823年)の離宮があった場所です。
作者たちが訪ねた頃にはすでに遺構のみとなっており、滝もは枯れていました。
「音は聞こえないものの、名声だけは伝わっている」として滝を褒め称えた歌となっています。
この歌によって、この滝は「名古曽の滝」と言われるようになりました。
縁語である「滝」「絶え」「流れ」、「聞こえ」「音」などが用いられ、また「な」の音を重ねるなど、技巧的な歌でもあります。
『拾遺和歌集』では初句が「滝の糸は」となっています。これは花山院ら撰者たちの改訂によると思われます。その後『千載和歌集』で藤原俊成がもとの「滝の音は」に戻して撰び直しています。
作者:大納言公任(だいなごんきんとう)
藤原公任のことです。10世紀後半~11世紀前半の人で、円融天皇・花山天皇・一条天皇・三条天皇・後一条天皇に仕えました。
四条大納言とも呼ばれ、漢詩・和歌・管弦に優れ、有職故実(ゆうそくこじつ)にも通じていました。
撰集に『拾遺抄』『和漢朗詠集』、歌論書に『新撰髄脳』『和歌九品』、有職故実書に『北山抄』、歌集に『公任集』、私撰集に『金玉和歌集』があります。
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