07番歌 あまのはら(阿倍仲麿)
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも
あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも
現代語訳
大空を見上げてみれば月が見える。故国日本の、春日の三笠山にのぼっていたのと同じ月だ。
唐から日本へと帰国しようとした際、送別の宴で詠んだ歌です。一説では、唐に向かう途中で詠んだ歌とも言われています。
これを送別の宴で聞いた人たちはきっとみんな涙したのではないでしょうか。
歌の背景
『古今和歌集』(羇旅・四〇六)にある歌です。注釈では、上述したように、唐から帰国する際に明州というところでお別れの宴が開かれたときに、月が美しくのぼったのを見て詠まれた歌である、とされています。
しかし、この後乗った船が難破してしまい、仲麿は日本には帰ることが出来ず、中国へと戻ってくることになります。そして生涯、日本へ帰国することは出来ませんでした。
帰国の出発地も違っているという意見や、この歌がどうやって日本に伝わったのかもはっきりしない点もあり、仲麿の作ではないという見解も多いです。
作者:阿倍仲麿(あべのなかまろ)
大宝元年(701年)?~宝亀元年(770年)頃の人です。
16歳で唐に留学し、自ら留学を延長するなどしつつ、唐で役人になりました。
玄宗以下3代の皇帝に仕え、最終的にはかなり出世したようですが、立場としては政治の中枢というよりは皇帝の側近という感じだったようです。
やがて望郷の念を抱いて帰国しようとしますが、今度は皇帝がなかなか許可を出してくれなかったり、暴風雨にあって難破したりなどで、結局帰国できないまま、70歳ぐらいで唐で亡くなってしまいます。
李白や王維など、唐の有名な詩人とも交流がありました。
三笠山(御蓋山)
奈良県奈良市の春日大社近くにある山です。笠を伏せた形をした山で、御蓋山と表記されることが多いです。
春日大社公式サイト→https://www.kasugataisha.or.jp/
遣唐使の時代、留学生たちは出立に先立って、春日山の付近で天神地祇を祀って航海の安全を祈願する習慣がありました。
春日明神は異国でも留学生たちを助けてくれる神様である、とも言われており、『吉備大臣入唐絵詞(きびだいじんにっとうえことば)』『松浦宮物語(まつらのみやものがたり)』などでも春日明神が主人公を助けています。
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