41番歌 こひすてふ(壬生忠見)
藤咲
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恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか
こひすてふ わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもひそめしか
「忍ぶ恋」という題で、天徳四年(960年)の村上天皇の内裏歌合で詠まれました。
現代語訳
恋をしているという噂が早くもたってしまった。人知れず思い始めたばかりなのに。
天徳四年内裏歌合
この歌は、40番歌にある平兼盛の「しのぶれど」と『天徳四年内裏歌合』(960年)で競い合った歌なのですが、誰も優劣がつけられなかったそうです。
最後に村上天皇に勝敗を決めてもらおうとしたときに、村上天皇が「しのぶれど」を口ずさんだので、そっちを勝ちとしたということです。
『沙石集(しゃせきしゅう)』によると、その負けを悲しんで拒食症になって亡くなったらしいです。それは嘘か本当か分かりませんが、それほど話題になった二首だったのでしょう。
40番歌と41番歌
以上のように、40番歌と41番歌は恋歌の名勝負として語り継がれてきました。
よって『小倉百人一首』の撰者である藤原定家も、これらの歌は対として並べて採択しました。
作者:壬生忠見(みぶのただみ)
「三十六歌仙」のひとりで、10世紀中ごろの人です。
30番歌の壬生忠岑の息子です。
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